2023-3-9 松江の神社を訪ねる その89 |
2023年3月9日(木) | 松江の神社を訪ねる 宍道町来待 |
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今日は、宍道町来待地区の神社を探しに出かけました。 竹やぶの中の大きな石の上に葉を広げているものは、コクランのようです。暖かくなって田んぼのタネツケバナも満開になってきました。 |
宍道町 コクラン |
宍道町 タネツケバナ |
伊綱社跡 | 東来待鏡 |
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「きまち書留帳」に「北廻谷の北に当たる所に神社跡として地区共有地がある。」とあり、事跡一覧表に「売布神社(伊綱社)-144」が載っているので、図面の場所を訪ねました。伊綱社は、宍道町史にある伊豆名社と同一と思われます。 「宍道町史」の「鏡神社」の項に、「社伝によれば、当社は宝暦14年(1764)に十二社大権現社と伊豆名大権現社が合併した神社とされる。」とあります。 北廻谷の入口で神社跡について尋ねましたが、「ここらへんにあった神社が一緒になって鏡神社になった。」という以外には、跡地についてはわかりませんでした。 山の斜面を見ると、竹やぶの中に建物があり、登ってみると歳徳神の宮庫でした。概ね図面の位置とも合うので、ここが書留帳にある神社跡と思われます。
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宍道町東来待鏡 左の谷へ向かう。 |
このあたりの山の斜面にあった。 |
竹やぶの中に小屋が見える。 |
宮庫の中の歳徳神 |
資料の図面 伊綱社-144 |
世那賀神社跡 | 上来待来待大森 |
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「宍道町史」の「来待神社」の項に合祀神社として「世那賀神社(旧社地 来待大森地区) 祭神 月夜見命 ・・・1907年(明治40年)合祀」とあります。 「きまち書留帳」の事跡一覧表に「世奈加社(世中)-123」とあり、図面の位置は、「宍道町歴史史料集(地名編)」に「世中」と載っています。 来待小学校向かい側の県道海潮宍道線から山際の脇道へ入り、溝を渡った竹やぶの斜面の上に少し平たい場所があり、加工された石材が散在しています。たぶんここが神社跡と思われます。 |
宍道町上来待来待大森 県道から脇道へ入る。 |
溝を渡って竹やぶへ入る。 |
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斜面の上に加工された石材がある。 |
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資料の図面 世奈加社-123 |
大山さん | 上来待 |
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「きまち書留帳」の事跡一覧表に「大山さん-222」とあり、図面の位置は、わかたけ学園付近の山になるようです。 わかたけ学園の南側のKDDIの基地局から山へ向かうと入り口あたりに石灯籠があり、「一畑燈□」と読めるようです。ここから竹林へ入ると、平場は椎茸の原木が並べてあり、その奥は竹林の斜面になっています。大山さんを祀ったような祠、石碑などの痕跡は確認できませんでした。 |
宍道町上来待菅原 基地局の脇から入る。 |
奥に石灯籠がある。 |
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一畑燈籠 |
竹林が広がっている。 |
資料の図面 大山さん-222 |
八幡宮跡 | 西来待大野 |
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「宍道町史」の「天宮神社」の項に合祀神社等として、「八幡宮(現社地 大野地区) ・・・廃社されたものの、社殿は現存し、現在に至るまで石田家によって祀られている。」とあるので、大野地区の石田家を訪ねました。 「もう社殿はお祖父さんが取り壊してしまってなにもない。その以前からご神体はなかった。」ということで、家の前から山へ向かうと、跡地には狛犬だけが並んでいました。 |
宍道町西来待大野 |
奥に狛犬が見える。 |
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石段の上は更地になっている。 |
秋葉大権現 | 上来待佐倉 |
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「きまち書留帳」の事跡一覧表に「秋葉さん-95」とあり、図面では佐倉地区の道路脇にあるようです。 佐倉地区の南斜面の道路を少し上がると、右手の道路脇に小さな円墳のようなものがあり、その上に風化した小さな石祠が乗っています。扉を開けてみると、「三尺坊 秋葉大権現 天保十五甲辰三月十八日 年々奉祭禮 定日」と書かれた棟札がありました。 |
宍道町上来待佐倉 小丘の上に石祠がある。 |
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