2020-12-23 旧山陰道(石州街道)
宍道町東来待〜伊志見一里塚

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2020年12月23日(水) 旧山陰道(石州街道) 宍道町東来待〜伊志見一里塚

歩いたルート(グーグルマップ) 資料から想定されるルート

旧山陰道 宍道町東来待〜伊志見一里塚
 今日は12月5日9日に歩いた旧山陰道のルートで写しきれていなかったものや、確認できていなかった箇所を補完的に歩きました。

 弘長寺から線路を越えた旧街道は、旧国道沿いにある消防機庫の付近へでていたそうです。

 東来待の郵便局の先から地蔵堂へ向かうところの、30mほど西へ進んだ左の奥に阿弥陀堂がありました。市の文化財で阿弥陀如来坐像が祀られているようです。鎌倉時代の作と言われ、もとは来迎寺と呼ばれるお寺にあったそうです。(宍道町ふるさと文庫16)
 国道から南へ来待川を1kmほど遡ると、左側の山に久戸千体地蔵があります。来待石の岩壁の下部を彫り込み、地蔵菩薩像を浮き彫りにしたもので、112体の仏像が確認できるそうです。掘られた時期は不明で、室町末期から江戸時代とされています。

 西来待の小松から山を越えて伊野谷へ下った旧街道が田んぼを斜めに横切って山の鼻へ向かうと思っていましたが、耕地整理前の古い写真や資料をよく見ると、もう少し手前の山際の径へ続いているようなので、確認してみました。

宍道町東来待
線路を越え、民家敷地を横切る。
弘長寺
消防機庫あたりに出てくる。
東来待
阿弥陀堂

宍道町東来待
市文化財 阿弥陀如来坐像
宍道町東来待
九戸千体地蔵

岩壁に112体の地蔵像が刻まれている。

西来待
伊野谷 南北道へ合流

中央付近の建物からこの辺りへ続いていた。
宍道町西来待
伊野谷 山際の径

宍道町西来待
旧国道へ合流

 西来待の伊野谷から白石へ越えるルートは、旧国道を通るルートが考えられていますが、他のルートも挙げられています。宇由比神社から伊野谷へ下り、南へ400m余ほど入ったところから西へ谷を入って山を越えるルートです。
 今回白石の平井廻から山へ向かってみました。山へ向かっては舗装された狭い道が続き、山際の雨堤(溜池)の脇から無舗装の山径になります。径は管理されていて、歩きやすい径が峠まで続いていました。峠を越えて西来待に入ると、径の跡は見えますが、太い笹の藪になって、通ることができませんでした。反対側の西来待の谷へ入ってみましたが、谷の奥は荒れ地になって、径らしきものも見えず、通ることは不可能でした。

白石
平井廻から伊野谷への山越えルート


雨堤(ため池)の脇を上がる。

宍道町白石
径が管理されている。

峠が白石と西来待の境
西来待
峠を越えると藪となり歩けない。

宍道町西来待
反対側の谷から入ってみる。

谷は荒れ地になっている。

谷の奥は荒れ地で歩けない。


 宍道の街の入口にある亀島神社は牛馬・船舶の守護神として近郷からの参拝も多かったようで、狛犬の寄進名には船の名前が刻まれています。

 宍道の街から1.5kmほど南へ入った家畜市場の近くの森の中に、「出雲風土記」に記載のある町名起源伝承の比定地とされる夫婦岩(宍岩ししいわ)があります。

 国道54号を南に入り、山陰自動車道の宍道ICの近くに妙岩寺があります。創建年代は不明ですが、延暦三年(1479)に曹洞宗に改宗しているそうです。本尊は歯吹はふき阿弥陀如来像で、口をわずかに開いて上下の歯が見えているそうです。また境内の石窟には十六羅漢像が安置されています。

 妙岩寺の近くの道路脇に五輪塔があり、「松江市所在の五輪塔・宝篋印塔一覧表」によると名称は「荻田五輪塔」とされ、「宍道町ふるさと文庫19」に、「室町時代に在地の土豪として記録の残る佐々布氏あるいは宍道氏に関わるものとも考えられます。」とあります。

 荻田谷を400mほど上がると、丹部たんべ神社があり、主祭神は、月夜見命つくよみのみことです。創立年代は不明ですが、スギの巨木をご神体にし、本殿はありません。

 荻田団地の下の小路は終わり近くのところで水路が分岐し、山際へ左折すると畑の中へ入ってしまいます。現在は直進してから、直角に曲がった道がつけられていますが、やはり、山際を通るのが自然な道のようです。

宍道町白石
山沿いの径から児童公園前へ向かっていた。

地蔵堂前から岩海橋へ向かう。

観音堂から旧国道と交差し畑に向かった。

宍道町白石
線路沿いを150mほど進む。
宍道
鉄道は左へ曲がる。

亀島神社の船名の入った狛犬

宍道町宍道
正定寺の海難供養地蔵

小橋小路

嵐橋から丘へ向かう。

宍道町宍道
線路沿いの荒れ地(旧山陰道)
佐々布
墓地の入口の地蔵等

荒神?

宍道町白石
夫婦岩入口
白石
夫婦岩

宍道町佐々布
妙岩寺本堂

鐘楼

十六羅漢石像

宍道町佐々布
妙岩寺近くの荻田五輪塔


宍道町佐々布
丹部神社

神木はスギの大木

本殿はなく、神木を祭る。




宍道町佐々布
荻田団地 小径の分岐

山沿いをまわる?


 西来待荻田の東洋アイテックの敷地を通った旧街道は、山の中を進んだということですが、先日はこのルートが確認できませんでした。今では県道宍道インター線によって分断されているので、間にある県道宍道インター線から両側の様子を見ることにしました。

 県道がJR線路を越える手前では西側の道路脇にフェンスがあり山へ入れないので、フェンスの切れ目がないかと探すと、線路の跨線橋のすぐ手前に切れているところがありました。竹藪の中に入って、径らしきものがないか調べると、先日ここが出口だろうと思った民家の裏から踏み跡らしきものが続いていました。踏み跡は枯竹が倒れ込んで歩ける状態ではありませんが、側から確認することができました。踏み跡は、県道の跨線橋の擁壁で切られていました。
 県道へ上がって、東への続きを調べると、県道の反対側に、はっきりとした踏み跡が続いており、こちらは今でも歩く人がいるようで、歩きやすい径となっていました。径を上がって行くと、左への分岐があり、市道へ下りる階段が作られていました。少し右へ曲がって進むと、東洋アイテックの駐車場入口の前辺りに出てきました。
 再度、東洋アイテック側から径をたどり、西側の民家の脇までの写真を写しました。

宍道町佐々布
東洋アイテック駐車場入口前から入る。

竹林内の径を下がる。

県道宍道インター線で切られる。

宍道町佐々布
出てきたところを振り返る。

道路向かいのフェンス切れ目から山へ入る。

枯竹の中に踏み跡がある。

宍道町佐々布
枯竹で通りづらい。

民家の裏へ出てきた。

民家脇に道がある。

宍道町佐々布
道路へ出た。

 伊志見川を渡るとすぐに国道脇の角に一里塚の跡があります。植えられていた松の木は昭和30年代に枯れたようですが、旧街道の両側に土を盛った塚が残されています。


このあたりで線路と旧国道を越える。
伊志見
伊志見川を渡ると一里塚がある。
宍道町伊志見
道を挟んで2つの塚がある。


2つの塚の間を旧街道は進む。



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