2019-3-18 熊野・広瀬往還、枉北道きたにまがれるみち(大草町〜矢田町)

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2019年3月18日(月) 熊野・広瀬往還、枉北道きたにまがれるみち(大草町国庁跡〜矢田町)
 今日は、雑賀町から広瀬・熊野往還と呼ばれる江戸時代の径を歩いてみました。また大草町の出雲国府跡から北へ伸びる枉北道を矢田町の大橋川の朝酌渡と想定されるところまで歩きました。

大草町
トゲミノキツネノボタン

 広瀬・熊野往還は、江戸時代に人々の行き交った道であり、桧山の往還の脇に建てられた「松江開府の径の碑」の説明に「広瀬・熊野に連なる古志原・鍛冶屋坂・桧山の尾根筋の道は古くから広瀬・熊野往還と呼ばれていた。この道は、人々の往来は勿論、松江城下の生活を支える薪炭等の輸送の幹線として重要な役割を果たした。右を進めば王子坂より「床几山」望める。又、旧熊野往還の古道に連なる。」とあります。
・熊野往還
 雑賀町6丁目の5丁目の小さな路地を入っていくと、旧熊野往還の案内標柱が立っています。狭い路地は奥へ行くと、石段となり、さらに上がると、舗装はなくなり、古い墓地の脇を通って丘の上に上がります。狭い山際の径を進むと、田中から谷を上がってきた舗装道路と青葉病院の裏で出会います。ここにも案内標柱があり、南へ向かって細い道が伸びて、その先が石段になっています。石段を上がると「王子坂」と刻まれた案内標柱があり、「東 松江開府の径之碑 鍛冶屋坂」と刻まれており、東へ向かいます。王子坂を上がると、左から上がってきた、広瀬往還と合流します。     

雑賀町
小さな路地を入る。
案内標柱が立っている。

雑賀町
石段を上がる。
舗装がなくなる。古い墓地の前を行く。

雑賀町
山際の細い径を行く。
田中から上がる舗装道路に出会う。案内標柱がある。上乃木との町境

上乃木5丁目
青葉病院の裏から見える市街南部
細い路地から石段を上がる。石段から王子坂に上がる。

雑賀町
案内標柱
王子坂を上がり、広瀬往還に出会う。

上乃木5丁目
配水場の手前に急な石段が下っている。
石段を下がってみる。

上乃木5丁目
坂道の下で国道432に出会う。
さいかまちあるきマップ(公民館資料)
・広瀬往還
 国道9号線のバス停「売豆紀丁入口」から小さな路地がまっすぐ南に続いています。奥へ向かって坂道を行くと、左手に売豆紀神社があり、神社前に「売豆紀坂史跡記念之碑」が立っています。その前を過ぎると、道は狭くなり急な石段が、続いています。石段は途中で右への分岐があります。直進すると丘を越えて、西津田8丁目の美月団地に出て、道は右へ曲がって斜面を周って、配水場の先へ上がっています。「広瀬往還」には2つのルートが想定され、団地の中を通るルートと、先程の分岐から王子坂に出るルートがあるようです。売豆紀神社の神主さんの話では「どちらなのかはわからない。」とのことでした。公民館の資料では、広瀬往還は美月団地を通るようになっていますが、今回は手前で王子坂に合流する径を往還として歩きました。
 石段の分岐まで引き返し、古い径の面影を残す右への分岐を上がりました。竹林の脇を広い径が続き、熊野往還が上がってくる王子坂に合流し、東へ向かうと桧山配水場の間を抜けていきます。配水場の先で、美月団地から上がってきた道と合流しますが、その合流点に「松江開府の径の碑」が建てられています。
 その先、往還は桧山トンネルの上部をを通り、海星高校の裏を過ぎ、尾根に続いています。開府の碑から700mほどで緑山公園の入口につき、ここから往還は鍛冶屋坂に下って行きます。坂の途中に地蔵堂のようなもの(六十六部廻国供養塔)があり、亨保2年と刻まれていました。しばらく下がると国道432号線に合流し、国道は広瀬へ向かっていきます。     

雑賀町
国道から売豆紀丁へ入る。
細い路地を上がっていく。売豆紀神社の前を行く。

雑賀町
売豆紀神社拝殿
本殿神社前の売豆紀坂史跡記念之碑

雑賀町
急な石段を上がる。
石段の径が分岐する。西津田8丁目
直進すると美月団地に出る。

西津田8丁目
団地内を周って配水場へ上がっている。
石段の分岐へ帰り、右へ上がる。広い径が続いている。

西津田8丁目
竹林の脇を通る。
王子坂に出会う。桧山配場の前を行く。

西津田8丁目
配水場からの松江市街の展望
西津田8丁目
団地から上がった道(右)と交差する。
松江開府の径の碑

上乃木6丁目
トンネル上部の林内を行く。
海星高校の後を通る。

上乃木6丁目
緑山公園入口
緑山公園

公園から南へ下る。古志原2丁目
道の左に六十六部廻国供養塔がある。

亨保2年(1717年)と刻まれている。古志原2丁目
鍛冶屋坂は下って国道に合流する。
さいかまちあるきマップ(公民館資料)


 ・枉北道きたにまがれるみち(大草町〜矢田町)
 大草町の六所神社の北に隣接して出雲国庁跡が発掘されています。風土記の時代には、ここから枉北道が島根半島の千酌を経由して隠岐まで続いていました。現在でも国庁跡から北へ向かってまっすぐ道が延びており、枉北道に想定されています。
 国庁跡を出発し200m弱進むと、道が交差しており、ここが十字街じゅうじのちまたと呼ばれ、南北の枉北道と西に伸びる正西道まにしのみちが交わっています。ここから、田んぼの中を山裾の集落まで直線的な道が続いています。

 「出雲国府周辺の復元研究」(島根県古代研究センター)によると「木下良・中村太一氏によって経路に推定されている丘陵上には ―略― 地形を改変した痕跡は認められず、 ―略― 通称間内越の谷には『風土記』に周囲一里(560m)と記載された真名猪池があったと推定されるため、中村案のように平野部の枉北道を丘陵中腹まで直線として谷の東から西へ谷を横切ることも難しく、 ―略― 谷の中腹斜面を谷奥に進む推定を行った。」とあります。

 直線道路の途中から西へ向かって曲がり、真名井集落から谷奥へ入るルートを歩きました。(真名猪池は今の蟹穴池と比定されています。)集落を過ぎ、真名猪池に想定される溜池の脇を通って竹林の中を過ぎると、用水路の脇を通り、溜池に続いています。溜池の間の堤塘を渡って行くと、松江道路の側道に出会い、まっすぐ松江道路の陸橋を渡ります。松江道路の側道から青葉台の丘を越えると、市道矢田山代線に合流します。枉北道は概ねこの市道矢田山代線に沿ったルートではなかったかと思われます。市道をまっすぐ進むと国道9号線に出会いますが、このあたりが風土記に書かれた「朝酌渡あさくみのわたり」(南岸)に想定されています。最近まで、すぐ西側約300mに「矢田の渡し」がありましたが、大正時代の地形図には東側約100mの矢田町井ノ奥に渡船が記載されており、このあたりから大橋川を渡ったようです。

大草町
六所神社
拝殿

大草町
本殿
出雲国府 国庁跡枉北道

大草町
東に大山が見える。
十字街
枉北道と正西道の交差点
東へ伸びる道

大草町
西へ伸びる正西道
竹矢町
北へ伸びる枉北道

矢田町
左へ曲がる。
茶臼山の麓の真名井集落へ向かう。

矢田町
集落の間の路地を入る。
お堂の奥の鳥居に歳徳神が祀られている。

矢田町
谷を奥へ進む。
溜池(蟹穴池)の脇を行く。竹林の中へ径が伸びる。

矢田町
用水路の脇を行く。
変わった用水施設がある。溜池(奥堤池)へ続いている。

矢田町
溜池の堤塘を渡る。
溜池脇から舗装道路に出る。松江道路の側道に出会う。

矢田町
松江道路の陸橋を渡る。
側道から青葉台へ上がる。青葉台の丘を下る。

矢田町
市道矢田山代線に合流。
市道を北進する。国道9号線に出会う。

矢田町
朝酌町矢田地区(左)と矢田町(右)
最近まであった矢田の渡し


島根県松江市の野草や樹木、シダを載せています。
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