2019-2-5 嵩道、別所道、華蔵寺旧参道、殿さん道、松江美保関往還

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2019年2月5日(火) 嵩道、別所道、華蔵寺旧参道、殿さん道、松江美保関往還
 今日は、12月19日に歩いた嵩道の一部が山へ入っているのを確認していなかったので、様子をみることにしました。また以前に上本庄町川部の奥で、殿さん道を歩いたときに、分岐点にあった道標に別所道と記されていたので、その分岐を確かめてみることにしました。そして別所の熊野神社から華蔵寺への旧参道があるらしいので、現状を確認することにしました。その後時間が少しあったので、松江美保関往還の本庄町から野原町の入り口までを歩きました。


・嵩道
  12月19日に歩いた嵩道のなかで、西川津町の団地を抜けて、元溜池の土手道が大内谷からの道と合流したあと山を越えているところを確認していなかった。今回、畑の中から山越えの道へ入ると、最初は笹も刈られて、広い径が確認できるが、次第に笹が密生し、ピークあたりでは藪となって径らしきものが確認できなかった。現道の峠は切り通しとなっており、旧道の分岐部分は切り通しの中に取り込まれてしまっているのかもしれません。現道に沿って林内を下がってみましたが、径らしきものはありませんでした。

西川津町
元溜池から畑の中を行く。
途中までは笹が刈られている。山の上部は笹が生えるが径の痕跡がある。

更に上部は藪となって径も不明になる。下東川津町
峠を越えて山林内を下りる。

下東川津町
植林地から出てきたところ。

・別所道
 上本庄町川部地区の最奥の人家横から山へ入ると石地蔵の脇に道標が倒れており、左枕木山、右別所道と刻まれています。左の枕木山への径は殿さん道と呼ばれ、県道枕木山線の旧道へ上がっています。
 道標から数m上がると径が分かれていて、まっすぐ谷に沿って上がると、はっきりとした踏み跡が続いており、じゃまになる枝も伸びていないので、溜池や鉄塔の管理道として使われていると思われます。溜池の縁を周って、尾根を越えて行くと、径が不明になってきますが、斜面の木の並びに沿って進むと、また踏み跡が現れました。谷に下りて小さな流れを渡ると、踏み跡が不明になりますが、正面の斜面に尾根に向かって斜めに上がっていく踏み跡が見えました。小さなピークを越えて進んでいくと、径の脇に1m以上ある立石がありましたが、何も刻まれていないようでした。立石の手前から右へ踏み跡があり、たどってみると鉄塔がありました。
 立石までもどり、まっすぐ行くと段差があり、その先は明るく開けた場所に出てきました。段々になった畑か水田の跡のようです。左にも分岐がありましたが、まっすぐ進んだ先に人家の屋根が見えるので、進んでみると、藪となってしまったので、元へ引き返しました。左の竹林の脇を行くと、径は広く、元は舗装道路だったようで、竹のトンネルを抜け、柿畑を上がっていくと、県道枕木山線の旧道に出会いました。分岐は車止めがしてありますが、以前は作業道として使われていた感じです。

上本庄町川部
山の上にNHKのアンテナ塔が見える。
川部地区の奥から径が分岐する。分岐手前の小高いところにお堂がある。

11:37
山への入り口に石地蔵がある。
11:38
元水道施設のフェンス横を上がる。
石地蔵の脇に道標が倒れている。

上本庄町川部 11:39
左枕木山、右別所道とある。
分岐があり、左 殿さん道、右 別所道11:40
右の分岐を上がっていく。

11:42
11:4511:46

11:47
池の脇を行く。
11:49
池の脇から斜面を上る。
邑生町 11:50
尾根を越え、下がっていく。

11:52
径が消え、斜面の木に沿って行く。
11:53
小川を渡る。
11:55
斜面に細い道が上がっている。

11:58
11:59
小さなピークへ上がる。
12:05

12:06
径の脇に大きな立石がある。
立石の手前を右へ径がある。12:08
鉄塔があった。

12:09
分岐へ帰り、直進する。
枕木町 12:10
開けた場所で、径が分岐する。
直進の先に家の屋根が見える。

12:12
藪となって径が途切れる。
12:14
分岐へ帰り、竹林の脇を進む。

12:15
径は広く、元は舗装道路のようだ。
12:16
柿畑へ出てきた。
12:17
県道枕木山線の旧道へ合流。

出てきた柿畑を振り返る。

・枕木山華蔵寺の旧参道
 旧版地形図を見ると、枕木町熊野神社付近から華蔵寺の現参道へ向けて道があります。これは華蔵寺への旧参道と思われますが、1971年に現在の県道枕木山線が開通しており、新設道路によって旧参道は途中で分断されています。
 熊野神社の前に大きな石灯籠があり、その道路反対側に山に向かって道が上がっています。この道の途中にも石灯籠があり、すぐ近くには小さなお堂に入った仏像2体と、一丁地蔵と思われる石地蔵がありました。参道の途中でも一丁地蔵を探しましたが、1体だけ見つけることができました。ここから水道施設の脇を通って古い径が上がっており、崩れかけた石段が残っています。最初は竹林の中を径は上がっていますが、人が通るほどのスペースは枯竹が片付けられており、最近でも人の往来や管理されていることが感じられます。旧参道は急斜面を上がり、15分ほど上がったところには長い石段があります。この石段を上がると、径は緩やかになってきます。10分ほど左右に曲がりながら径を進むと、目の前が開け、県道枕木山線の背の高い道路擁壁が見えました。ここから旧参道は擁壁の上へ通っていたのでしょうが、県道により分断されています。
 擁壁の上の旧参道を確認するため、少し先の谷から急斜面を尾根に向かってよじ登ってみました。尾根に上がると、確かに左右に径が続いており、右は尾根の先の擁壁の上で切れていました。上に向かって上がっていくと、5分ほどで目の前に石積が立ちはだかり、行き止まりでした。石積を上がったところは、華蔵寺の現在の参道入口の手前にある駐車場で、石積は駐車場を造成したときの擁壁のようです。

枕木町
熊野神社
拝殿本殿

神社の前に大きな石灯籠がある。12:33
石灯籠の正面の坂道へ向かう。
12:34
坂道の途中に石灯籠がある。

12:35
石地蔵がある。
12:35
水道施設の前を直進する。
12:36
旧参道は広く、石段が残っている。

12:36
竹林内を上がっていく。
12:40
枯竹があるが、通り道は片付けられている。
12:44

12:44
12:45
石地蔵が残っている。

12:49
12:50
長い石段がある。
12:52
石段を上がると、緩やかになる。

12:54
12:57
12:59

13:00
県道枕木山線で旧参道は切られている。
電柱脇へ出てきた場所電柱No.82

13:03
少し先の谷から尾根へ向かう。
13:04
超急斜面をよじ登る。
13:08
尾根には径があった。

13:10
県道側を確認する。
金網フェンスの下に県道が見える。13:13
引き返し、旧参道を上がる。

13:15
13:16
前方に石積みが見える。
13:17
石積みを上がる。

13:18
華蔵寺の参道前の駐車場に上がった。
華蔵寺参道入口

仁王門仁王像石造りの不動明王

展望台からの眺望

薬師堂鐘樓門本堂


・殿さん道
 華蔵寺からは、川部までの最短ルートとして、県道枕木山線から旧道へ分岐し、途中から殿さん道を川部へ下りました。

14:19
旧道の巡視路標識から殿さん道へ入る。
14:2414:26

14:27
鉄塔の脇を下がる。
14:31
2番目の鉄塔
14:33

14:35
分岐の道標まで帰った。

・松江美保関往還 本庄町〜邑生町〜野原町
 時間が少しあったので、本庄町付近の美保関往還を少し歩いてみました。木並から下がってきた道は黒住教の教会の前を過ぎ、県道(旧国道)沿いの本庄町の街並みへ入ってきます。黒住教会前の道路の反対側に小さなお堂がありました。街並みを邑生町に入り、清安寺の入り口の小路へ入ると、道の両側に萬年山、清安寺と書かれた門柱があり参道の入り口となっています。その手前から右手に往還は家並みの後ろを通っていたようですが、今は通れるような道はなく、山際の擁壁の上を歩いてみました。擁壁は途切れて行き止まりますが、途中に下りる階段があったので、民家の裏に下りました。地形図の1960年代の古い写真を見ると、以前はこのあたりは山際まで田んぼが広がり、人家は見当たらないので、山際に道があったものと思われます。
 民家の脇から県道へ出て、本庄中学校の入口前から山裾の草地を水路沿いに上がり、国道を横切って草地を歩き旧国道から峠を越えると道の駅の裏に出てきます。道の駅の大型車の駐車場の北側の法面に斜めに上がっていく小さな道がつけてあるので、これが「歴史の道調査報告書」に記載のある、「峠を下って左の柿畑に登り山中に入る」道ではないかと思います。
 この地域の詳細とこの先は、次回に確かめることにします。

本庄町
熊野神社

本庄町
黒住教本庄教会所
道路脇の小さなお堂県道へ出る。本庄町の街並み。

邑生町
清安寺入り口
参道入口の手前から右折

住宅裏の擁壁の上を歩く。邑生町
路地から国道へ出る。
野原町
本庄中学校


本庄中学校の前から山際を北進する。
野原町
国道へ出る。
荒れ地を直進する。

旧国道へ出る。小さな峠を越えて行く。野原町
道の駅駐車場脇の斜面に径が上がっている。



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