2019-11-26 松江杵築往還 平田町中町〜高岡町多福寺

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2019年11月26日(火) 松江杵築往還 平田町中町〜高岡町多福寺
 斐伊川堤防を歩いていると、堤防の下の水路を埋め尽くしている水草が目に入りました。何かわかりませんでしたが、帰化植物であることは想像ができました。美談町から武志町の間の約3kmの間のところどころで、水路を埋め尽くしている風景が見られました。この水路は、同じ水系で、繋がっていると思われます。調べるとミズヒナゲシという南米原産の外来種で、越冬は難しいとされていました。しかし現状の水路を埋め尽くす様子は、1年でここまで繁殖したとは思われず、越冬していた可能性があるように思われました。

ミズヒナゲシ

ミズヒナゲシ

ミズヒナゲシ

出雲市美談町
ミズヒナゲシ
出雲市美談町
ミズヒナゲシ
出雲市武志町
ミズヒナゲシ

 今日は、「松江杵築往還」を、出雲市平田町中町から高岡町多福寺までの約8.5kmを歩きました。だんだん出発地が遠くなるので、今回も一畑電車で雲州平田駅まで行き、湯谷川を渡った中町から県道159号へ入りました。

 湯谷川の糸川屋橋を渡ってすぐ右へ曲がって県道159号へ入り、南西に進んでいきます。350mほどで国道と交差し、さらに200mほど行くと古土手県道踏切で、一畑電車の線路を越えます。この辺りは古土手と呼ばれ、以前は斐伊川の堤防であったと思われます。踏切からまっすぐ1kmほど行くと、斐伊川の堤防に上がるようになります。堤防の上がり口のところに、一畑灯籠が立っていました。古い時期のもののようで、なんとか「一畑」という文字が読み取れます。

 堤防の上には西代橋が架かっており、川を渡ると斐川町へ入りますが、往還は西へ堤防の上を進みます。橋から300mほど進むと、堤防の右下に墓地があり、これは玉木家の墓地でした。墓地から堤防を1.7kmほど行くと、堤防の下に児玉家の墓地があります。児玉家は江戸時代の堤防改修時に藩主に流路の変更を嘆願したといわれる水傅蔵(子孫は児玉姓)の子孫になるということです。後に水家が記念として、堤防の中段に桜の木を植え、「お杖桜」と呼ばれています。

 お杖桜から200mほど行くと、堤防右下に井堰があり、斐伊川の水を用水路に流しています。井堰から約750m進むと、堤防から一段下がったところに、伊丹堂があり、お地蔵様が祀られています。お堂から800mほど行くと、堤防は左へとカーブして行きます。堤防上の往還は土手往還と呼ばれ、右手の山際を通る道は山手往還と呼ばれ、同じく杵築(出雲大社)へ向かっています。川跡駅の近くを過ぎると、左手の堤防下に、河川敷公園があります。公園の中に膳夫かしわで神社跡があり、現在は鹿島神社に合祀されています。神社跡から公園を進み、小さな堤防を越えて行くと、斐伊川に架かる潜水橋の井上いあげ橋があります。

 堤防に帰って、武志駅に向かって堤防を下りると、子安観音堂があります。中には子供を抱いた観音様が祀られていました。観音堂の近くには、松江藩の藩主であった京極若狭守が着工した「若狭土手」の掲示板があります。若狭守が始めた難工事で、湾曲したこの地域の堤防を、特に「若狭土手」と呼ばれているようです。

 観音堂から北へ200mほど行くと、鹿島神社があり、公園にあった膳夫神社が明治44年に合祀されています。神社から北へ500mほどに萬福禅寺があり、鐘楼型の山門の脇に2体の丁地蔵が並んでいます。文字はすでに読みにくくなっていますが、四十九丁と五十一丁のように読めました。これは北山を越えた鰐淵寺に向かう丁地蔵と思われます。境内には江戸時代に堤防の草刈場をめぐって処刑された、太田牛兵衛と岡田祐蔵の義民追悼碑があります。追悼碑は100回忌にあたり、大正5年に作られたものです。

 子安観音堂に帰って西へ進み、県道と交差し200m余りで、武志駅の近くの武志4踏切を渡ります。踏切を渡ったところに商店があり、これが堤防下にあった茶屋が大正4年に武志駅ができたときに移転されたものなのかもしれません。踏切から約380m進むと、交差点があり、その右の角に丁地蔵がありますが、すでに文字は見えませんでした。交差点を渡ったところの左に、北陽第2こどもクラブの建物があり、その奥に大きな松の木が2本植えられています。これは、300m東にあった一里塚の松を、明治42年小学校新築を記念して、移植されたということです。コミュニティーセンターの南側の通りに川跡神社があり、稲荷神社が並んでいます。

 往還へ帰り、西へ進み広い市道と交差すると、左に大神門札だいかんどふだ観音霊場第七番札所善正寺があり、その先、2軒ほど行ったところの南側の通りの畑の中に西山家の墓地があります。その中に幕末の名医、西山砂保の碑が立っています。元の往還に帰り、資料にある「鎌田家の大松」のあった屋号「蔵の東屋」や「稲岡村の殿蔵跡の畑」などを探し、通りがかった人に聞きましたが、「鎌田家」は何軒もあり、屋号はわからない、とのことでした。

 西山家の墓地から往還へ帰ったところから280mほど行くと、稲岡秋葉神社と稲岡大歳神社跡があり、大歳神社は大正4年に川と神社に合祀されたとのことです。さらに100mほど行った左手に小さな祠があり、仏像が祀ってありました。祠から700mほど行くと、多福寺があり、境内に文化13年(1816)一揆未遂で処刑された伊藤・川島・大坪氏の義民追悼碑があり、その隣に元文5年(1740)と刻まれた宝篋印塔が立っています。また本堂の裏には大きな石があり「弁慶硯石」と書かれていました。
 多福寺から往還を離れ、北西へ650mほど行ったところに大神門札観音霊場第六番札所の清雲寺があり、その西隣りに高浜神社があります。その横に高濱正一位稲生神社があります。ここから高浜駅に向かい、電車で帰ることにしましたが、その途中の三叉路に札内の道標があり「右くわんおん寺・左せいうん寺・文政五年(1822)」と刻まれていて、 またその先の道路脇に二体の丁地蔵が置かれていました。右くわんおん寺というのは、南の往還沿いにある第五番光善寺を示しているのかもしれません。  

平田町中町
橋から右折し県道159号へ入る。
平田町
県道の上田町を進む。

京町で国道と交差する。

平田町
県道を進む。

古土手と表示がある。

古土手県道踏切を渡る。

平田町古土手
古土手道を南下する。

田んぼの向こうに旅伏山が見える。

県道159号と275号が合流する。

西代町
旧道から斐伊川堤防に上る。

堤防への登り口左に一畑灯籠がある。

堤防に西代橋があり、渡ると斐川町へ入る。

西代町
往還は堤防の上を西へ進む。

橋から100mのところ。

橋から約300mで、堤防下に墓地がある。

西代町
玉木家の墓地
美談町
橋から約900m

橋から約1.8km、堤防が右へ曲がる

美談町
堤防下に墓地がある。

水家の墓地

墓地の上の土手に桜の木がある。

美談町
お杖桜

桜から約200m、堤防下に井堰がある。

用水路への取水堰

美談町
斐伊川の流れが見える。
東林木町
取水堰から約700m

取水堰から約750m

東林木町
伊丹堂

内部のお地蔵様

お堂から約800m、堤防が左へ曲がる。

東林木町
山際を山手往還が通っている。
武志町
一畑電車が走っている。

一畑電車川跡駅

武志町
一畑電車川跡駅

斐伊川河川敷公園

公園内の「膳夫神社跡」

武志町
潜水橋「井上橋」


武志駅の近くで、堤防を下りる。

武志町
堤防の下に子安観音堂がある。

観音堂の内部

堂の前に若狭土手の掲示板がある。

武志町
斐伊川堤防「若狭土手」

鹿島神社

鹿島神社

武志町
鹿島神社

萬福禅寺

萬福禅寺

武志町
門の傍らの丁地蔵

萬福禅寺本堂

義民追悼碑

武志町
観音堂前から県道は左折、直進する。

西へ向かう。

一畑電車武志駅

武志駅
武志4踏切を渡る。
稲岡町
踏切から約380mの交差点

角に丁地蔵がある。

荻栃町
移植された武志一里塚の松

川跡神社

川跡神社

荻栃町
隣接する稲荷大明神

往還へ帰り、広い市道と交差する。

交差点から直ぐ西に善正寺がある。

荻栃町
善正寺前から西へ進む。

南の通りの畑の中に西山家の墓地がある。

幕末の名医「西山砂保」の碑

稲岡町
この辺りが稲岡村の殿蔵跡か?

西へ進む。

稲岡大歳神社跡と稲岡秋葉神社

稲岡町
稲岡秋葉神社

神社から約100m、道路脇の小祠

稲岡町
祠の仏様
高岡町
小祠から約300m

多福寺

高岡町
多福寺本堂

義民追悼碑

宝篋印塔

多福寺
弁慶硯石
里方町
清雲寺

高浜神社

里方町

高浜神社入口の稲生神社

「高濱正一位稲生神社」とある。

神社から約200m、三叉路に道標がある。 「右くわんおん寺・左せいうん寺」
神社から約300m、駅への途中の丁地蔵

里方町
神社から約450m、駅への途中の丁地蔵

一畑電車高浜駅



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