2022-6-25 松江の神社を訪ねる その83

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2022年6月25日(土) 松江の神社を訪ねる その83 忌部地区

 今日は忌部地区で見残している、中垣明神と比婆山社跡を探すことにしました。
 今までミヤコアオイは八雲町、東出雲町でしか見ていませんでしたが、初めて東忌部町で確認しました。


東忌部町
ミヤコアオイ(葉)



東忌部町千本 中垣明神跡

 中垣明神は千本の浄水場から下流の忌部川沿いにあると忌部神社で聞いたので、浄水場付近の家で訪ねると、「忌部川沿いの道を下がって行くと、産廃処分場との境界の手前にあるが、もう随分と行っていないので朽ちているかもしれない。」とのことでした。
 忌部橋から川沿いは草に被われて歩けないので、その上にある斜面の擁壁の上を歩いて、突き当りから林内へ入り、川沿いへ下がると古い道が残っています。古い道の名残の石地蔵が一体残っています。しばらく川沿いの道を歩くと、山から流れる小さな川に出会います。川を渡ると、斜面の上の大きな木に向かって道が上っています。大きな木の脇を通って斜面を横切ると、石灯籠と倒壊した社がありました。
 川を渡った所の尾根筋には上に向かう道がありそうで、これが明神峠へ続いていると思われます。

 「中垣明神 下忌部々落明神峠下にあり。社殿二尺四方大鳥造、祭神中垣明神命加藤仲市之を祀る。元今岡忠之助(中垣)宅地附近にありしが年代不詳大洪水の為に流失せり、其夜加藤家の主人の夢に中垣明神影現れ給い告げ詔はく吾は洪水の為に流され今は明神峠の下にありと語り給い御影を失うと見て夢覚めたり、不思議の霊夢なりしと、夜の明くるを待って其處に至り見れば果して御弊の川柳の枝に掛くあるを認め御加護を畏み直ちに社殿を造り仝地に奉斎せりと、祭日は十月二日。」(忌部村誌)

   松江の神社

東忌部町千本
浄水場下流の忌部川の右岸を下る。
斜面の擁壁上を歩く。

突き当りから林内へ入る。 林内を川沿いへ下がると道がある。

旧道らしく石地蔵が置かれている。 道が少し荒れてくる。 水溜りができている。

小さな川がある。 斜面の上の大きな樹に向かって上がる。

大きな樹の間に道がある。 茂みの中に石灯籠が見えてくる。

社が倒壊している。



西忌部町下忌部 比婆山社跡

 旧版地形図を見ると、西忌部町下忌部の山に神社のマークがあります。この山は大平山といい、この山にあった神社は比婆山社で、現在は日野目天神社の境内に遷されています。比婆山社は正確には、比婆山粂神社というようです。
 下忌部の集落で大平山へのルートを尋ねると、「山の下にある3軒の家の右端の家の脇から谷を上がるのがいい。」と教えていただきました。山に神社があったことは、知る人はいませんでした。

 家の脇の墓地の前を通って竹藪に入り、谷に沿って奥へ進むと、鉄塔の案内標識に出会います。標識の示すNo.7に向かって急斜面の細い道を上ります。竹の枯れ葉が積もって、滑り落ちそうになりながら、這うようにして斜面を上りきります。斜面を上ったところで、鉄塔巡視路はまっすぐ続きますが、右へ分かれて踏み跡があるので、上へ向かって登っていきます。12分ほど登ると、平坦な尾根に着くので、今度は尾根に沿って北東へ下がって行きますが、神社跡の様子は見られません。旧版地形図の鳥居のマーク附近を丁寧に探すと、不自然な石の集まりがありました。神社跡との関連はわかりませんが、この辺りが跡地ではないかと思われます。

 「比婆山社 仝上(※下忌部部落)大平山にあり伊弉冊命を祀る社殿三尺四方祭日五月九日九月九日とす。講中下忌部全部」(忌部村誌)

   松江の神社

西忌部町下忌部
左の奥が大平山
右端の家から山へ向かう。 家の脇の墓地の前から奥へ入る。

竹林へ向かう。 谷を上がって行く。

鉄塔巡視路へ出会い、鉄塔No,7へ向かう。 左の斜面へ上がる。 急斜面の細い道を上る。

急斜面を上がり、巡視路から右へ分かれる。 上に向かってまっすぐ上がる。

尾根の平場に上がり、東へ下がる。 尾根筋を下がっていく。

旧版地形図の鳥居のマーク附近 不自然に石が集まっている場所がある。 この辺りにあったのだろう。




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