2021-8-11 松江の神社を訪ねる その38

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2021年8月11日(水) 松江の神社を訪ねる その38 鹿島町南講武〜東持田町
 今日は、鹿島町南講武の日吉神社跡や西持田町小倉の金刀比羅谷古墳や東持田町以後の王子神社の跡を探してみることにしました。

 南講武の小谷から多久神社へ向かって山越えの道があります。山を上ったところで尋ねると、「ここは南側で隣までが小谷になる。日吉神社はあの向かいの竹やぶの奥にあった。途中の道路脇に金比羅さんがある。山の上にあったが、お祭りできないので、下に下ろした。」とのことでした。家の前の田んぼの中の作業道を上がると、山際に「金刀比羅神社」と彫られた自然石が祀られていました。そのあたりから竹やぶの中を上ってみましたが、神社跡らしき形跡は見えず、今回は諦めました。山を下りて、多久神社の宮司さんに聞いてみましたが、詳しい場所はわからないとのことでした。また、明治初期まで北講武堀部にあった諏訪神社についても、堀部古墳群のある山の上にあったようだが、詳しくはわからないとのことでした。

 西持田町小倉の金刀比羅谷古墳は山に向かってみましたが場所がわからず、近くの家で尋ね、入口まで案内していただきました。右手の谷を上がって行くと、径に木の枝が伸びていたりして、本当にこの径なのかと不安になりますが、枝をかき分けて上がって行くと、谷の奥に大きな岩がありました。

 東持田町以後にあった王子神社の跡は、持田神社で尋ねました。以後池から後久へ抜ける径の途中にあるということでした。しかし、現地を訪ねると、そこには地蔵堂がありました。近くの方に尋ねると、「ここには神社跡はない。隣の家で尋ねられたら。」とのことで、隣の家で尋ねると、「神社跡は、以後池の北の山にあり、奥の家の前から入ったところにある。」と教えていただきました。

 松江の神社

金刀比羅神社

金刀比羅谷古墳

地蔵堂

鹿島町南講武
金刀比羅神社
西持田町小倉
金刀比羅谷古墳
東持田町以後
地蔵堂

王子神社跡


内部の仏像
東持田町以後
王子神社跡の歳徳神


島根県松江市の野草や樹木、シダを載せています。
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