松江の近世以前の土木遺産


 学術的研究目的で、全国の古代〜江戸期までに造られた交通(街道、河川舟運、海運)、産業(農業・飼馬業、漁業、鉱業)、 防災(海岸、河川)、生活(上水)、行政(測量)、軍事(台場、狼煙場)関連の遺産群の全貌を、初めて明らかにした結果を、公開された「近世以前の土木・産業遺産」に載せられた松江市関係の一部です。


中原町の道標。松江市役所別館。高さ150cm。 江戸期?。(正面)「右 大社 一畑道」。



西長江町の道標、(右面)「右 一畑中道」(「中道」は小さな文字)、(左面)「左 大社」/自然石なので右・左との面が確定しているわけではなく、どちらかというと右側・左側という程度/一畑中道の起点の可能性が高い。



浜乃木の地蔵道標、((左面)「右、大社/札所/玉造、道」/正面に地蔵立像(蓮台)を陽刻/かつては街道の一丁地蔵
「島根県歴史の道調査報告書第2集山陰道2」p11
善光寺前を少し行くと、道の上に鉄道を跨ぐ跨線橋が見える。この跨線橋の橋脚のたもとに一基の地蔵様が祀られている。古老の話によると街道にあった一丁地蔵で、昔はこの街道一丁ごとに置かれていたという。この地蔵像も道標になっていて、側面に次のように記されている。
右大社・札所・玉造 文久二□年八月 谷 若連中



片原の舟着場(城下町に物資を搬入する河岸として賑わったところ。昔ながらの雁木が残っている。)



横浜町の宍道湖護岸、宍道湖の水際に並べられた円筒形の護岸石(如泥石)



末次町の道標、(正面)「右 大庭道」/開拓が明暦元(1655)頃から始まった→『島根県史』では、建造年を寛文期と推定→全国の道標の建立年の動向と刻字内容から見て17世紀に建立された可能性はない。
「出雲の石造美術」1965 p67  大庭道標 松江市末次町和田順次郎氏蔵  今から約百二十年前土蔵建築の際、古色を帯びた花崗岩石の道標を発見し、今は庭園の景石としてあるが、高さ77糎、方十五糎の方柱に草書体で左の碑銘が刻してある。
 右 大庭道
◯願主七郎左衛門
 古志原住人
とあり、この碑は当時末次道の北側に立てられたもので、この末次道は大庭に通ずる本道であったことを示している。古志原は元来荒蕪地であったが、その開拓は明暦元年頃から初まったので、古志原住人によるこの碑は明暦寛文頃のものと想像される。(島根県史九)



写真は左面で「◯願主七郎左衛門」と書かれているとされる。