サトイモ(里芋)

多年草
東南アジアの原産であり、1500年ほど前から栽培している。花はまれに咲くが果実は完熟せず、地下茎によって繁殖し、現在の品種の多くは少なくとも300年以前から栄養繁殖を続けている。畑に栽培するが時に暖地の湿地に野生化する。地下茎は球形または倒卵形で、横に子いもができる。葉の高さ8〜120cm。葉柄は深緑色から紫褐色、葉身は象の耳のようんs形で、基部深く湾入し、湾入部から少し下がって楯状につく。葉鞘の底から1〜4個の花序をだす。花序は有柄。苞は直立し、長さ30cm内外、筒部は緑色、舷部は披針形、黄色。肉穂は苞より短く、下部は雌花、つぎに仮雄花、その上に雄花があり、その上は仮雄花となる。雄花に6雄ずいがある。花期は8〜9月。(原色日本植物図鑑)
学名は、Colocasia esculenta
サトイモ科サトイモ属
「農耕の技術」10号青葉 高「石芋伝説のサトイモについて」 (1987)の中で松江市上大野町に古くから生えているサトイモが紹介されている。(最下段)


2016年6月27日 野生化 玉湯川原で越冬している。
サトイモ サトイモ サトイモ
2015年8月1日 野生化 玉湯河原に逸出して生えている。
サトイモ サトイモ サトイモ
サトイモ
2009年8月2日 野生化 玉湯
サトイモ サトイモ サトイモ
サトイモ




「農耕の技術」10号青葉 高「石芋伝説のサトイモについて」 (1987)の中で紹介された松江市上大野町に古くから生えているサトイモ。
2016年6月27日 芋の谷 上大野湧き水のある小さな泉に生える伝説のサトイモ。
サトイモ サトイモ サトイモ
2016年2月18日 芋の谷 上大野冬期のため葉は枯れている。
サトイモ サトイモ サトイモ
サトイモ
「農耕の技術」10号青葉 高「石芋伝説のサトイモについて」 (1987)
 ー略ー
 4)松江市芋谷の食えん芋
 ー略ー
 この大野町の芋谷と呼ばれる谷に小さな井戸と石地蔵があり、その井戸に弘法芋、俗に大野の食えん芋と呼ぶサトイモが自生している。ここには以前土居の寺という寺院があったというが今はない。このサトイモについては他の石芋と同様,弘法大師と欲深い老婆との言い伝えがあり、老娑の捨てた芋が芽を出し、それが今日まで生き続けているといわれる(『大野郷土誌』、『島根の伝説』など)。
 清水誠一、吉田正温両氏の案内で現地を調査したが、井戸というのは縦3m、横1m あまり、深さ30cmほどの小さい泉で、水は後方の繁みからしみ出る程度で、水の流れはみられない。しかし水の涸れることはないという。サトイモはこの泉の傍にかたまって生えているほか、付近の道ばたにわずか生育し、株数はそれ程多くなかった。(写真5)
 サトイモの形態は沓掛の石芋に類似し、子芋の基部はやや長いが葡旬枝ではない。筆者が関東で試作したところ沓掛のサトイモに類似し耐寒性は強かった。
 上述のようにこの食えん芋は普通の水溜りの傍に生育するもので,沓掛や関金のような湯尻ではなく,甲府のような温い湧き水地でもない。大野公民館長の佐藤正義氏によると,このサトイモは同氏が子供の頃と比べてほとんど増減がなく、旱魃、厳寒や大雪の年もあつたが春になると変りなく毎年芽を出すという。なお『大野郷土誌』によると、先年恩田清氏は,この芋を『出雲風土記』 に記されている芋草(いも)芋菜(いえついもとし、これはサトイモの原種ではなかろうかと推定している。
ー略ー
このような考え方にたてば、平均気温が現在より2〜3℃高かった縄文時代前、中期前半に渡来した原始型のサトイモが、東日本までも伝わり、広く分布したが、その後縄文晩期から弥生時代にかけて平均気温が現在より1℃程度低くなった時期に、その多くは絶滅し、 温泉地や湧き水のある場所など、生育条件に恵まれた地のサトイモだけが残存し、 その後も生育を続け、石芋、弘法芋などと呼ばれて現在も生育を続けているものと推定することもできる。

サトイモ
写真5

島根県松江市の野草や樹木、シダを載せています。
松江の花図鑑